四弘誓願(感謝だけでは不十分な理由)

リアルインサイト 鳥内浩一です。

先日からご案内している、

王道學講座第11期の体験会を兼ねた
徳山先生の講演会ですが、

開催がいよいよ来週に迫りました。

徳山先生と直接お会いできる機会は、
本講座以外ではこの講演会だけですので、
ぜひ奮ってご参加ください。

>>ご参加はこちらから

きっと、人生が大きく変わります。

さて、ここ何回かお届けしてきた
伊勢神宮からのメッセージも、

今回で一区切りにしたいと思いますが、
この内容が、一番重要かもしれません。

また、一番勘違いされていることが多い
内容かもしれません。

それは、正しい参拝の作法についてです。

神社に行ってお参りする時、

「神様に、お願いするのではなく、
 感謝を伝えるんだよ」

といった趣旨の話を聞いたことがあるかも
しれません。

もちろんこれは間違いではなく、
祈願を申し込む際に祈願内容に「神恩感謝」
とあることがそれを示していますが、

今回の伊勢研修で、徳山先生から、

「実は、感謝だけでは不十分なのだ」

というお話がありました。

その際に教えてくださったのが、

四弘誓願(しぐせいがん)という教えです。

これは仏教における教えで、
全ての菩薩が修行の初めに起こす四つの願い
のことを指します。

その四つの願いとは、

(1)衆生無辺誓願度――
限りなく多くの衆生を救済しようという願い

(2)煩悩無量誓願断――
計り知れない煩悩を滅しようという願い

(3)法門無尽誓願学(誓願知)――
尽きることのないほど広大な法の教えを
学びとろうという願い

(4)仏道無上誓願成――
無上の悟りに達したいという願い

を指します。

神社のお話なのになぜ仏教を
引き合いに出すのか、

などとは是非言わないでください。

この學問が伝える一つの重要な神髄は、

万教帰一(ばんきょうきいつ)

であるということです。

それはまさしく聖徳太子が行った
偉業であり、

この王道學に、

神道をはじめとする日本の精神、
仏教をはじめとするインド哲學、
儒教・老荘思想をはじめとする
中国哲學の集大成、

さらには、古今東西を問わず、
ギリシャ哲學まで含めた學問の王道が
集約されている表れでもあるのですが、

実際、以前ご紹介をした神道の祝詞

百体清浄太祓(ひゃくたいしょうじょうふとばらい)

には、「願いが叶う」ことが明記されているのです。

掛(か)けまくも畏(かしこ)き皇太神(すめおほかみ)の宣賜(のりたまは)く人(ひと)は

則(すなわ)ち天下(あめがした)の神物(みたまもの)なり、

しず(しず)め静(しず)まるべし、

心(こころ)は神明(しんめい)の本(もと)の主(あるじ)なり、

わが魂(たましい)を傷(いた)ましむることなかれ

是(こ)のゆえに目(め)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を見(み)て
心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を見(み)ず、

耳(みみ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を聞(きい)て
心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を聞(きか)ず、

鼻(はな)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を嗅(かひ)て
心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を嗅(かが)ず、

口(くち)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を言(いい)て
心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を言(いは)ず、

身(み)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を觸(ふれ)て
心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を觸(ふれ)ず、

意(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を思(おもい)て
心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を想(おもわ)ず、

此時(このとき)に清(きよ)く潔(いさぎよ)き詞(こと)あり、

諸(もろもろ)の法(のり)は、影(かげ)と像(かたち)の如(ごと)し、

清(きよ)く潔(いさぎよ)ければ、仮(かり)にも穢(けが)るることなし、

説(こと)を取(と)らば、得(う)べからず、

皆花(みなはな)よりぞ、木實(このみ)とは成(な)る、

我身(わがみ)は則(すなわ)ち百躰清浄(ひゃくたいしょうじょう)なり、

百体清浄(ひゃくたいしょうじょう)なるが故(ゆえ)に、
中府(ちゅうふ)の神君(しんくん)安寧(あんねい)なり

中府(ちゅうふ)の神君(しんくん)安寧(あんねい)なるが故(ゆえ)に、
天地(てんち)の神(かみ)と同根(どうこん)なり、

天地(てんち)の神(かみ)と同根(どうこん)なるが故(ゆえ)に、
萬物(ばんもつ)の靈(れい)と成(な)る、

萬物(ばんもつ)の靈(れい)なるが故(ゆえ)に、
為(なす)ところの願(ねが)いとして、
成就(じょうじゅ)せずということなし慎(つつし)み敬(うやま)い申(もう)す

実際、興心舘で神社を参拝する際には
この祝詞と願いを上げ、

お寺詣りをする時にも真言と願いを
上げます。

そして、
これも以前お伝えしたことがあるように、

事実その願いが叶うのですが、

(きっと怪しさ満点だと思いますが、
 そう感じさせてしまう教育こそがGHQの狙いであり、
 その長年の「教育」の結果、
 永続的繁栄のために最も重要な鍵である信仰心が
 日本人から失われつつあることが危機的事態です)

なぜ、この學問においては、

神仏にただ感謝を伝えるだけではなく、
願いを上げることまで行うのか。

誤解を恐れずに、
徳山先生の言葉をお借りしてお伝えするならば、

「感謝するだけというのは、
 結局、自分のことしか考えていないから」

です。

四弘誓願(しぐせいがん)は、
人々を救済することを使命とする菩薩の願い
であることからも分かるように、

百体清浄太祓において願いを持つ者が、
天地の神と同根であり、萬物の霊と同体である
ことからも分かるように、

そして、この學問が、
この国難を救うことができる人物を求めて
解禁されたことからも分かるように、

興心舘でこの學問を学ぶ者が持つべき意識とは、

  1. 自らが救われることでもなく、
  2. 自らが救われていることにただ感謝するだけでもなく、
  3. 他者を救う

ことにあるのです。

そしてそうした人々で日本中が満ち満ちることが、
聖徳太子の夢でもあるのです。

太子の夢。それは、

「慈悲の心で満たされた菩薩の住む仏国土の実現」

です。

そして、今この世界に最も求められていることでは
ないでしょうか。

だからこそ、感謝するだけでは不十分。

救済のために自らを磨き上げることを「請い願う」
ことをこの學問では行います。

そんな素敵な願いを共有することのできる仲間が、
すでに1400名以上、興心舘には集まっています。

ぜひあなたもここからその仲間入りを果たしてください。

>>お申し込みはこちらから

随分と大きな話に聞こえるとは思いますが、
(実際大きな話をしていますが)

気後れする必要はありません。

すでにお伝えしたように、

徳山先生がよく仰るように、

家庭の「家」と国家の「家」は
同じ家であるように、

世界の平和は家庭の平和から、
世界の不和は家庭の不和から始まります。

この學問を学び、
あなたの目の前の課題を解決することが、
世界が平和に近づく第一歩になります。

実際、今学んでいる塾生は、

老若男女を問わず20代から80代(!)、

企業経営者やビジネスリーダーから
公務員・サラリーマン・OL・主婦の方
まで幅広く、

みな一緒に机を並べて学んでいます。

かつての「寺子屋」のように。

この學問は、
誰一人分け隔てすることはありません。

太陽が誰に陽の光を当てるかを
分け隔てすることがないように、

愛に分け隔てはないということを
教えてくださるのが、

太陽神である天照大御神様の教えです。

そして、百体清浄太祓が、

人は則ち天下(あめがした)の神物(みたまもの)なり、

と教えるように、

徳山先生の言葉がおっしゃるように、

「落ちこぼれなんているわけないじゃん。
 みんなMade in God なんだから」

「あなたは、天使なんだよ。
 「天」上界の「使」いなんだから」

どうぞお気軽にご参加ください。

>>ご参加はこちらから

ここからきっと、
眠っていたあなたの本当の才能が目覚め、
あなたが歩むべき本当の人生が始まります。

多くの人がそうであったように。

ただ、一つだけご注意ください。

「神様には、お願いするのではなく、
 感謝を伝えるんだよ」

と言われる一つの理由でもあるのですが、

間違った願いは身を滅ぼします。

この學問においては、
「引き寄せの法則」は厳禁です。

あの方法で夢(?)が叶ったとしても、
もっと危険なものをそれこそ「引き寄せ」ます。

なぜか。

そこには、規律がないからです。
それは、夢ではなく「欲望」だからです。

あえてこの言葉を使ってしまいますが、
「天上界」があなたの夢を叶えてくれるのは、
それが天の願いに「適う(かなう)」時です。

そんな素敵な夢を描ける自分自身になるために、
この學問はあるのです。

この學問を修め、人格を磨き上げていくことを
通して、あなたの夢を叶えること。

聖徳太子が描いた、

「慈悲の心で満たされた菩薩の住む仏国土の実現」

という理想を実現することができるなら、
きっと世界を救うことができます。

その理想に向かって動き出し、他の誰でもない、
あなたが、誰かの希望の光になってください。

>>ご参加はこちらから

そして、その夢を叶えて下さい。
1400名もの同志たちとともに。

会場で(あるいはオンラインで)お会いできるのを、
心より楽しみにしています。